石動雷十太 ねぇ、先生
先生と二人で過ごし始めてふた月が経った。あの日を境に私は先生と関係を持っている。
弱った先生の心に付け入る卑怯な私。先生は私を愛していないけど、体を重ねている時だけは淀みきった瞳で私を見つめてくれる。それだけで幸せだった。
しかし、私と先生の幸せな二人だけの生活は突如終わりを迎える。
「先生、何卒もう一度ご指導をお願いします」
桜丸、月王、鶴左衛門、桐次の四人が戻ってきた。
先生は地面で土下座をする四人を見下ろして何も言わない。でも私は、先生がみんなを受け入れたことがわかった。そして私よりも先生との付き合いが長い四人にもそのことは伝わっている。
無言で家に戻った先生の背中を見て、みんなは嬉しそうに笑い合っていた。
その日以降、先生は家に籠って私とまぐわうことを辞めて、四人と再び剣術に打ち込み始めた。
俯きがちだった顔を上げて、伸ばしっぱなしだった髭を剃り、背筋を伸ばして剣を振る先生は前よりもずっとずっと格好良い。
私と過ごす時間はほとんどなくなったけれど、先生が少しずつ元気になっていって嬉しかった。もっと先生に元気になって欲しくて自然と私も気合が入り、六人分の食事作りも易々と行えた。
食事中は、私と先生以外の四人が剣術についてああだこうだと盛り上がる。先生はそんな四人を私には向けたことのない柔らかい眼差しで見つめていた。
六人で過ごすようになってひと月半。私が井戸で洗い物をしていると珍しく先生が話しかけてきた。
「お前と過ごしたふた月のことは口外するな」
「……はい、承知しております」
すっかり立ち直った先生は、私と二人で過ごしていた時のことを四人に知られたくて釘を刺してきた。そんなことをしなくても私は先生との二人だけの大切な思い出を他人に分け与えたりしないのに。
振り返って返事をした時には既に先生はこちらを見ていなくて、最初から問答無用の言いつけだったのだろう。
残りの洗い物を終えて立ち上がり、私は下腹部を撫でる。月のものが来ない。
二人で過ごしていた時、先生は自らの意思で私から離れることなんて出来なかったからこのまま身籠っても三人で暮らしていくのだと思った。でも四人が来てからの先生は、私など必要としていない。
今まで先生に手を叩き落されてもそれは煩わしさからで、私がそばにいることを拒むものではなかった。もし子どもを授かっていたとして、先生からはっきりと拒絶されたらいくら私でも折れてしまう。
先生のそばにいたい。かといって妊娠していたら隠し通せるはずもない。
私は再び下腹部を撫で、月のものが来ることを祈った。
更にひと月が経って、私は今夜先生から離れることにした。
あれから病院に行って、子どもを身籠っていると診断されてから決めていたことだった。
桜丸、月王、鶴左衛門、桐次の四人にはさり気なく家事の手伝いをお願いし続け、食糧の保管場所やちょっとした料理、掃除・洗濯の仕方などを教えた。先生の手を煩わせたらいけないもの。
先生と四人はお酒を飲んで深く眠りについている。合薬屋さんから買った眠り薬がよく効いてるみたい。もちろん眠り薬はお酒と一緒に飲んでも体に害がないものをお願いした。先生の体に支障をきたすわけにはいかないから。
床に寝転ぶ四人が風邪を引かないように布団をかけて、壁にもたれて眠る先生の隣に座る。
穏やかに寝息を漏らす先生を見ていると、二人で過ごした日々が蘇る。
同じ布団で、隣で眠っていた先生。四人が来てからは違う部屋で寝ていて、先生の寝顔を見るのは久しぶりだった。
ねぇ、先生。今見ている夢に私はいますか?
みんなと共に刀を振るい、思い描く夢に私はいますか?
先生にもみんなと同じように布団をかけて、私はそっと唇を重ねる。体は何度重ねても先生は決して唇を重ねてはくれなかった。
唇を離して大好きな先生を見つめていたら、私の瞳からぽろぽろと涙が零れた。本格的に泣き出してしまう前に行かなくちゃ。
涙を拭って先生から離れ、押し入れから荷物と手紙を取り出す。そして手紙をちゃぶ台に置いて、私は振り返らずに家を出た。振り返ってみんなを、先生を見ると決意が鈍ってしまいそうだったから。
月明りを頼りに、転ばないようにゆっくり歩いて街道を目指す。
ねぇ、先生。本当は私のこと邪魔だったでしょう?
出資者を探していた時に破落戸に襲われていた私を助けて、その破落戸を使って狂言強盗を企てた先生。
私はお金を持っていなかったのに、それでも先生はそばにいることを許してくれた。
なんの役にも立たない私は、これ以上先生に迷惑をかけられない。
先生は、もう私がいなくても大丈夫。みんながいるから大丈夫。またみんなと古流剣術の再興に向けて歩いていける。
先生が元気になってくれて嬉しい、嬉しい。
それなのにどうして私の胸は張り裂けそうなほどに痛んで、涙が止まらないんだろう。
ねぇ、先生。先生の心の片隅にどうか私を住まわせてください。
どうか、どうか。私の最後のわがままをお許しください。