沢下条張 いい夫婦の日

「なぁ、出かけへん?」

朝餉の片づけも終わった頃、張が珍しく誘ってきた。いつもは何も言わず、ふらふらと外に出て賭博場に行ったり、女の子を引っ掛けたりしているのに。どうしたことやらと思ってまじまじと見つめれば、張は居心地が悪そうに視線を逸らした。

「別に、予定もないからいいけど……」

特に断る理由もなくてそう告げると、張は一瞬嬉しそうな顔をした。でも、すぐにそれを消して私に背中を向けて愛刀達を身につけ始める。

「さっさと支度してとっとと行くで」
「うん」

ごそごそと支度をしている張に倣い、私も鏡の前へ行く。久しぶりの張との外出。自分でも気づいていなかったけれど、鏡に映った私の顔はにこにこと笑っていた。

「この店、入るで」
「え?」

久しぶりに繋いだ張の手に引かれ、私は一軒の小間物屋に入る。小間物屋──化粧品や装身具、飾り紐などが売られているお店なんだけれど、張とは全く無縁の店で今まで一緒に入ったことがない(刀剣商とかには付き合わせるくせに!)。
今日もなじみの刀剣商に入り浸るのだと思っていたから、心の準備ができていなくてどうしたらいいのか分からない。張は興味がないのか目を瞑って店の壁に寄りかかってるし。

「張……」
「なんや欲しいモンでもあったか?」

心細くなった私が無意識に名前を呼べば、張は隣へ来てくれた。店主の視線も突き刺さって居心地が悪いし、私は並べられている簪を適当に指差した。

「この中のどれがいいかな?」

特に欲しい訳でもなかったのだけれど、張と二人でこんな店にいることが恥ずかしくて早く出たかった。
私の投げやりな質問とは知らず、張は真剣に悩んでいるようで眉間に皺を刻んでいた。そんな彼の様子に申し訳ないと思う反面、嬉しいとも思ってしまう。
真剣な張の顔に見惚れていると、不意にこちらを向いて、ひとつの簪を指差した。

「んー……これ、とかどうやろか」
「あ、可愛い……」

張が指差したのは、跳ねている兎の装飾がされている木彫りの簪だった。兎の動きが可愛くて、つい言葉を零してしまうと、張は満足げに笑ってその簪を手に取る。

「親父、これ買うわ」
「へい、毎度!」

張は流れる水のように止める暇もなく、支払いを済ませてしまった。

「ちょ、ちょっと……」
「ほい」

張の行動が読めなくて声をかけるも、有無を言わさず和紙に包まれた簪を差し出される。私が受け取れば、張はさっさと店から出て行った。私は店主に頭を下げて慌てて張を追いかけた。
その後も人形屋やら呉服屋、果ては甘味処など普段は張が興味を示さない店につれて行かれ、あっという間に一日が過ぎる。屋台で食べたおでんで膨らんだお腹を擦り、張の隣を歩いた。
今日は凄く充実した一日だった。自然と顔が緩んでしまって、私は弾む声で張に話しかけた。

「今日は珍しく優しかったね、張」
「はァ?わいはいつも優しいやろ……」

照れているのかそっけない態度の張につい笑ってしまう。笑うと怒るだろうなと思ったけれど、張は怒らずに私を見た。

「明日から、また仕事で家空けるわ」

張のその言葉に笑い声も出なくなった。
いつの間にか警察に所属していた張は、度々長期の仕事で家を空けることがある。明日からまた、狭いのに広く感じる長屋で一人で過ごすことになると思うと、憂鬱な気持ちになってしまう。それが分かったのか、張は安心させるかのように私の手をぎゅっと握った。

「お前が待っとる思うと、絶対帰ろうって頑張れるんや。……これからもわいの隣におってくれへん?」
「っ、張……」

普段とは違う張の真剣な眼差しに射られ、私の心臓は大きく跳ねる。どうしよう、凄く嬉しい。私は張の手を両手で握り、精一杯の笑顔で答えた。

「うん、ちゃんと待ってるから……私も張の隣にいさせてね」

張と夫婦になってから二年。ずっとずっと、一緒に歩んでいけたらいいなって改めて思った一日だった。

執筆日:2018か2019
加筆修正:2023.5.27